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シブヤ建設工業スタッフブログ

「感謝」「ありがとう」

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明日で8月ももう終わりですね🥺

8月は終戦記念日があり、SNSでも戦争関連のものをよく目にしていました。

色々な方の目にふれるブログなのでこの内容を書くのも少し悩んだのですが

私にとっては深く考えさせられる、そして最後には心が温かくなる内容なので

気になる方だけ見て頂ければと思います💦

 

先日私の祖母が亡くなり、母親が遺品を持ち帰ってきました。

祖母はとても明るく、色々なことに興味を持ちチャレンジする人で

舞踊、太極拳、カラオケ、腹話術などを趣味で行っていました。

腹話術では慰問活動もしていたそうで、遺品の中に腹話術の原稿がありました。

その内容は戦争の実体験でした。

昭和19年、当時祖母は東京に住んでおり日本はアメリカと戦争の真っ最中。

毎日空襲警報が鳴り、のちに学校も閉鎖。

東京は一番危ないとのことで集団疎開したり、低学年の子は縁故疎開といい親類を頼って

田舎に疎開したそうです。

祖母は練馬で空襲にあい防空壕に入れてもらおうとしましたがその土地の方々でいっぱいで

入れず、近くの草むらに隠れているしかなかったそうです。

ところがその防空壕に爆弾が落ち、祖母は命が助かりました。

空が真黒くなるくらいB29が飛んでいたそうです。

駅も電車もなくなっていましたが、一緒に行動していた姉に「線路伝いに歩いて行けばきっと

池袋につくから泣かないで歩くのよ」と言われ足に豆がいくつもできる状態になるまで

ひたすら歩いたそうです。(この文をみてお姉さんもまだ子供だったろうに…と思いました)

 

戦時中は食糧難で塩もなくお水だけの日があったと書いていました。

 

祖母の父親が病気になり東京に戻ったある日、玄関先に日の丸のついた戦闘機の翼が

落ちてきたこともあるそうです。

 

数十年前にこんなことがあったなんて…そして自分の祖母がそんな人生を歩んできたのか…と

思うと悲しくなり、反対に現代の私たちが当たり前のように家族が一緒に生活できること

食べ物があること、安全な環境で過ごせることに心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

祖母は日頃から「感謝」「ありがとう」をよく口にする人でした。

【原稿より祖母の言葉】

現代は努力すれば何でも手に入るけど物がありふれて物を粗末にしたり感謝の気持ちや

命の大切さが薄れていくようでさびしく思うことがあります。今日ここへ来れたのも

皆様のお陰様、有難うの気持ちを大切にしましょう

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自分の性格上なかなか祖母のようには、新しいことにチャレンジ出来ないような気がしますが

「感謝」「ありがとう」を大事にする気持ちは私も持ち続けていきたいと思っています。

そして何かに悩んだり、何かに挑戦したいと思えた時には祖母のことを思い出し

年齢のせいにせず頑張ってみたいなと思いました☺✊

 

皆が相手のことを思いやれる世の中、平和な世の中がずっと続くことを願います。